さくねっ

2025/12/31

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さくレポ

株式会社北信林業1
かぶしきかいしゃ ほくしんりんぎょう
長野県佐久市中込2丁目8番地2
業務内容
林産物の買い入れ・伐採・運搬
林産物の生産・売り渡し・販売の受託
建築の請け負い・設計・施工・管理
造園工事の請け負い・設計・施工

株式会社北信林業5 さくねっインタビューで初めてお伺いしたのは、佐久市中込の株式会社北信林業さん。
佐久の地に根を下ろして、半世紀以上も地域と共に歩んでこられたところです。
社史を見せていただくと、その50年の間に2度の会社目的変更があります。
社名で示しますように、元は林産物をお取り扱いの会社から始まりました。
設立は昭和21年6月、終戦後の復興に向けて日本が歩みだそうという時代。佐久地域の山々から、多くの木を日本各地に向けて送り出していたそうです。
事務所の壁にかけられた、時代を思わせる木の額に収められた一枚の白黒写真に、目が吸い寄せられました。
株式会社北信林業6
切り出した材木を貨車に載せて送り出すところ・・・と見当はつけたのですが、なんだか長さがおかしい気がします。
高橋社長「70尺だからな、21mあるから。長すぎるから、貨物列車を2機つないで、そこにまたがしてるわけだ」
21m! 道理で長さの感覚が狂ったような気がするはずです。
こんな長いままで送り出すということは、それだけの長さが必要だったから、ということになります。
では何に使われたのでしょう?
この貨車の目的地は尼崎港。この長さの丸太、埋め立てのための杭として使われたのだそうです。尼崎港は昭和5年から90万立方に及ぶ埋立・防波堤・護岸・岸壁の築造に着手、但し第2次大戦により中断(「神戸みなとぴっくす・尼崎西宮芦屋港紹介ページより」)とあります。戦後は25年に重要港湾の指定も受けていますから、整備・改修のためにも多くの資材が必要だったのでしょう。長野の山奥から運ばれた材木も、その一助となっていたのですね。
昭和28年2月撮影、中込駅での一コマでした。
木材の切り出しと加工、販売を行っていた㈱北信林業さんは、昭和40年代から建築も手がけられるようになりました。
会社業務に「建築一式の請け負いと付帯業務」が加わったのは昭和47年。
高度成長期で、住宅需要が増加した時代です。
材木屋さんの建築ですから、当然木造住宅専門・・・と思いきや、中込で初めての鉄骨ALCのビルディングも建てておられたりします。
50坪の3階建て、当時は長野から職人さんがおいでになったとか。中込駅前にあった中央名店の、従業員用施設でした。
株式会社北信林業2
高橋秀樹氏(左・ご長男)と高橋徳雄社長(右)
そして現在の㈱北信林業は、建築に付帯するあらゆることを手がけている、とのこと。
高橋社長「それ(建築)とそれに関わることだよな・・・すまいだな、すまいに関わることか」
高橋(秀)「この間もアパートの、特伐っていうか、特殊伐採っていうんですか、木を切って欲しいって頼まれて」
昭和61年、会社の目的に「造園工事の請け負い・設計・施工」が加わっています。
家と庭があって家庭と言うんだな、と高橋社長。
家を建て、そこに住まう月日はいつの間にか積み重なって、庭の様相も変化していきます。
それをどうしたらいいか相談に乗るのも、すまいに関わることになるのですね。
戦後の日本の復興を支える林業から出発して、現在は地域の人々のすまい、くらしを支える㈱北信林業さん。
これからも、地域と人々の目線で、くらしを支えていきます。
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