![]() |
|
さくねっインタビューで初めてお伺いしたのは、佐久市中込の株式会社北信林業さん。佐久の地に根を下ろして、半世紀以上も地域と共に歩んでこられたところです。 社史を見せていただくと、その50年の間に2度の会社目的変更があります。 社名で示しますように、元は林産物をお取り扱いの会社から始まりました。 設立は昭和21年6月、終戦後の復興に向けて日本が歩みだそうという時代。佐久地域の山々から、多くの木を日本各地に向けて送り出していたそうです。 事務所の壁にかけられた、時代を思わせる木の額に収められた一枚の白黒写真に、目が吸い寄せられました。
切り出した材木を貨車に載せて送り出すところ・・・と見当はつけたのですが、なんだか長さがおかしい気がします。 高橋社長「70尺だからな、21mあるから。長すぎるから、貨物列車を2機つないで、そこにまたがしてるわけだ」 21m! 道理で長さの感覚が狂ったような気がするはずです。 こんな長いままで送り出すということは、それだけの長さが必要だったから、ということになります。 では何に使われたのでしょう? この貨車の目的地は尼崎港。この長さの丸太、埋め立てのための杭として使われたのだそうです。尼崎港は昭和5年から90万立方に及ぶ埋立・防波堤・護岸・岸壁の築造に着手、但し第2次大戦により中断(「神戸みなとぴっくす・尼崎西宮芦屋港紹介ページより」)とあります。戦後は25年に重要港湾の指定も受けていますから、整備・改修のためにも多くの資材が必要だったのでしょう。長野の山奥から運ばれた材木も、その一助となっていたのですね。 昭和28年2月撮影、中込駅での一コマでした。 木材の切り出しと加工、販売を行っていた㈱北信林業さんは、昭和40年代から建築も手がけられるようになりました。 会社業務に「建築一式の請け負いと付帯業務」が加わったのは昭和47年。 高度成長期で、住宅需要が増加した時代です。 材木屋さんの建築ですから、当然木造住宅専門・・・と思いきや、中込で初めての鉄骨ALCのビルディングも建てておられたりします。 50坪の3階建て、当時は長野から職人さんがおいでになったとか。中込駅前にあった中央名店の、従業員用施設でした。 ![]() 高橋秀樹氏(左・ご長男)と高橋徳雄社長(右)
そして現在の㈱北信林業は、建築に付帯するあらゆることを手がけている、とのこと。高橋社長「それ(建築)とそれに関わることだよな・・・すまいだな、すまいに関わることか」 高橋(秀)「この間もアパートの、特伐っていうか、特殊伐採っていうんですか、木を切って欲しいって頼まれて」 昭和61年、会社の目的に「造園工事の請け負い・設計・施工」が加わっています。 家と庭があって家庭と言うんだな、と高橋社長。 家を建て、そこに住まう月日はいつの間にか積み重なって、庭の様相も変化していきます。 それをどうしたらいいか相談に乗るのも、すまいに関わることになるのですね。 戦後の日本の復興を支える林業から出発して、現在は地域の人々のすまい、くらしを支える㈱北信林業さん。 これからも、地域と人々の目線で、くらしを支えていきます。 |
| 12月 | ||
| 日 | 曜 | 定休日 |
| 1 | 月 | |
| 2 | 火 | |
| 3 | 水 | |
| 4 | 木 | |
| 5 | 金 | |
| 6 | 土 | |
| 7 | 日 | |
| 8 | 月 | |
| 9 | 火 | |
| 10 | 水 | |
| 11 | 木 | |
| 12 | 金 | |
| 13 | 土 | |
| 14 | 日 | |
| 15 | 月 | |
| 16 | 火 | |
| 17 | 水 | |
| 18 | 木 | |
| 19 | 金 | |
| 20 | 土 | |
| 21 | 日 | |
| 22 | 月 | |
| 23 | 火 | |
| 24 | 水 | |
| 25 | 木 | |
| 26 | 金 | |
| 27 | 土 | |
| 28 | 日 | |
| 29 | 月 | |
| 30 | 火 | |
| 31 | 水 | |